登山の魅力がわからない
登山なんて何が楽しいのか、分からなかった。
小さい頃、母に連れられて大山へ登ったが、
頂上に行けば遊園地でもあるのかと思いきや、
ただ眺めが良いだけで、登山に拍子抜けした。
富士山へは3回登ったが、あれは修行に過ぎなかった。
一体、何が楽しいのだろうか?
秘められた登山の魅力を探るため、
仙丈ヶ岳、塔ノ岳、檜洞丸、瑞牆山、八ヶ岳と登ってきたが、
未だよく分からない。
なので、来月は北アルプスの槍ヶ岳に登る予定だ。
楽しみである。

この手紙あなたに届くなら、メールなんてもういらない
登山なんて何が楽しいのか、分からなかった。
小さい頃、母に連れられて大山へ登ったが、
頂上に行けば遊園地でもあるのかと思いきや、
ただ眺めが良いだけで、登山に拍子抜けした。
富士山へは3回登ったが、あれは修行に過ぎなかった。
一体、何が楽しいのだろうか?
秘められた登山の魅力を探るため、
仙丈ヶ岳、塔ノ岳、檜洞丸、瑞牆山、八ヶ岳と登ってきたが、
未だよく分からない。
なので、来月は北アルプスの槍ヶ岳に登る予定だ。
楽しみである。

真保裕一ファンとして、アマルフィを観に行ったのだが、
人が多くてただ驚いた。300席が満員である。
なんだか遥か昔に観た行った、
ジュラシックパークの時を思い出した。
あの時はどういうシステムか忘れたが、
席はおろか通路にも、なぜか客がわんさかいて、
立ち見の僕たちは、ああ良かったねと称えあった。
立ち見なのに。
2時間の立ち見は通常、辛いと思うのだが、
そんな記憶は無い。
とにかく素晴らしい時間だったと残っている。
その理由の一つは、やはりあの時も人が多かったからだ。
ガラガラの客席で物悲しく観るよりかは、
満員の客席で感情を共感したほうが何倍も楽しく感じる。
もちろん他のお客さんの心の内はわからないが、
そういうのは不思議と何となく伝わってくるものだ。
気のせいでしょうか。
アマルフィ。
観て良かった。
これがもし、ガラガラの映画館だったらば、
やはり違う感想になっていたのだろうか。
だとしたら作品の評価は、観た環境にも左右される事になる。
そこが気になった。

人を天才と言うのは逃げなのかもと、ふと思った。
例えば、イチローもアインシュタインも
一般的に天才と言われている。
でも幼稚園の頃は私たちと、
大して変わらなかったはずだ。
でも今では、自分とは大いなる差がついている。
何がそんなにも分けたのだろうか?
それはイチローならば、日々の鍛錬と努力であり、
アインシュタインならば、未知への飽くなき情熱だったりするだろう。
ようするに彼らに比べたら、
私は日々をサボっていたのだ。全然、考えていなかったのだ。
「そんなことはない!
自分なりに頑張ってきたし、色々考えて来た。
彼らは生まれ持ったものが、きっとあるんだよ。
だって、彼らは天才だもの。」
つまり、
彼らを自分とは、違う生物にしてしまうことにより
己の怠惰を正当化する、便利な言葉。
それが、、、「天才」
